人探しで涙の初対面
当社の調査成果が沖縄タイムズで取り上げられました!
沖縄と米国で暮らすきょうだいが涙の初対面 60年の時を経て
2016年2月8日 11:31 沖縄タイムズ
沖縄市胡屋で飲食店を営む金城悦子さん(61)が、米国オレゴン州に住む異母兄のマーク・ダンリーさん(62)と初めて対面し、互いの絆を深めている。昨年4月に亡くなった父親のドナルド・ダンリーさんの遺言書で沖縄に妹がいることを初めて知ったマークさんが、悦子さんの所在を突き止めて1月末に来沖した。悦子さんは兄の存在を知っていたが「まさか会えるとは思わなかった」と60年を経ての対面を喜んでいる。父ダンリーさんは1953年3月から1年間、陸軍兵として沖縄に駐留した後、米国に戻った。悦子さんは母親から住所を教えてもらい84年に父親を沖縄に招待。その際、異母きょうだいの兄のデービッドさん(63)とマークさん、妹のデアさん(54)がいることを教えてもらったという。
その後、音信は途絶えていたが、昨年肺がんのため84歳で亡くなったダンリーさんの遺言書に悦子さんの名が記されていたことから、マークさんは悦子さんの存在を初めて知った。東京の調査会社に依頼して突き止め、昨年6月インターネット電話スカイプを使って初めて会話した。
マークさんは「人生で一番の思い出。お互いに泣いた」と振り返る。妻のケイさん(62)と1月末に来沖したマークさんは悦子さんに、米国にいる他のきょうだいや家族を写したアルバムをプレゼント。また悦子さんの長女里奈さん(38)には、長兄デービッドさんが幼少時に着ていたまつりの法被を贈った。悦子さんは沖縄駐留時代の父親の写真を見せ、会話を弾ませた。
マークさんは今月9日まで滞在する予定。3日、悦子さんの営む飲食店でマークさんの歓迎会が開かれ、常連客から花束を手渡されたマークさんは「会いたくないと言われるかもと心配もあった。本当に感動している」と感極まった様子。悦子さんはマークさんと仲良く腕を組み、「小さいころ、兄がいたらいいな、腕を組んでみたいと思っていたが、その夢が実現した。きょうだいと認めてくれてうれしい」と喜んだ。
対象者の長女の里奈さんからのメール
“遅くにすみません。小山さんのお陰で、会うことが出来ました。
本当にありがとうございました。
Markさんは小山さんに物凄く敬意をはらっています\( •̀ω•́ )/
ありがとうございます☆”
“小山様の、忍耐と熱意。その一生懸命さのおかけで今回、こう言った素晴らしい異母兄妹の絆と他のファミリーの絆をもっと、もっと大きな宝にして下さいました。
リサーチ会社は本当にご苦労も多い事だと思います。大変な事も、私達の想像以上だと思います。
でも、こうした消えかけた縁が再び繋がり合う縁もあるという事、そして、その架け橋となる、小山様の様な人柄とお仕事を、どうか、これからも自信を持って頑張って下さい(*˘︶˘*).。.:*♡
お父さんへの電話まで、たどり着くまでの経緯は本当に大変だったと思います。
小山さんからの電話は父が入院中でしたので、この入院がまだまだ、延びていたら、この日が来る事は無かったでしょう。
奇跡的とは有りましたが、小山さんの、さがす!っと言う気持ちや行動が奇跡を呼んだのだと私は確信しております♡(´,,•ω•,,`)
依頼者のMarkさんからのメール
Mr.Koyama
I cannot tell you how pleased I am for your work. I doubt my testimony will give you any additional work, but if you would like a statement from me regarding how you conducted yourself, please let me know and I will do so.
I have been texting Etsuko’s family using LINE, and we’re making plans on a conversation directly with Etsuko (using an interpreter) this next weekend.
Perhaps we shall meet some day, but if not, I hope you know you have made a fundamental difference in my life and with several other people. In my culture, we have a word, mensch, which means a really good person, one whom you can trust and respect. You, sir, are a mensch. It is an honor to have worked with you.
Mark Danley
あなたの仕事には言葉にできないくらい感謝しております。もし他に私の証言などが必要な場合は、知らせてください。
私はラインで悦子の家族と連絡を取り合い早速今週には直接話し合うつもりです。
恐らくお会いできる日が来るのでしょうが、もしそうでなくとも、あなたが私とこの件に関わった人たちの人生を根底から変えるような仕事をして下さったことを感謝したいです。私の文化では、menschという言葉があり、意味は、信頼そして尊敬に値する立派な人ということです。あなたはそのものであり、一緒に仕事ができたことを誇りに思います。
マーク・ダンレイ
調査経緯 – 執念と奇跡の結晶
アメリカのマークさんの情報では、30年前に転居済みの住所と、本人の結婚後の姓 “Erabu”と、その時の夫の名前が”Tomio Erabu”で、30年前の住所と電話番号の情報しかありませんでした。もうひとつ、30年前に、日米交流協会という団体が、Etsukoさんとお父さんの対面を支援した記録がありました。
前住所は賃貸物件であったのか、土地建物の登記簿では全く手がかりがつかめませんでした。
以前の電話番号は解約され、電話帳逆引きでもヒットせず、手がかりになりませんでした。
日米交流協会は10年以上前に消滅し、手がかりになりませんでした。
“Erabu”は、伊良部の間違いだろうと思い、電話帳で「伊良部 Tomio」をまず探しました。そして、電話帳にある「伊良部 Tomio」を片っ端から電話しましたが、電話しても応答がないところしかなく、この線での進展はありませんでした。
次に、前住所の住宅地図から近隣者の氏名を割り出し、電話取材を試みましたが、運悪く電話帳掲載者なく、電話取材も不可でデスクワーク的調査手法では、完全に行き詰ってしまいました。
ここであきらめてはいけないと思い返し、赤字覚悟で現地調査をすることにしました。毎度のことですが、無駄な経費をかけず最良の結果を出すことをモットーにしていますので、格安航空券とレンタカーやネットカフェで寝泊まりしながら現地調査を行いました。
本当は本人の元夫の移転後の電話が電話帳にのっていて、電話取材の段階で私が留守電を入れていたのですが、実はちょうど元旦那さんはたまたま長期入院中で連絡がつかなかったことが後でわかりました。退院後も留守電を聞いたのですが、元妻の友達かなにかだろうと思い、わざわざこちらから連絡することではないと思って、無視したそうです。
さて、現地入りし、昔のご住所の近隣者に聞き込みしました。
対象者の前住所と同じ住所で同じ敷地内の居住者(40歳くらいの男性)に「昔伊良部さんという家族がこちらに住んでいたのをご存じないですか?」と尋ねましたが、不審がられて「知らない」とぶっきらぼうに回答され、半ば追い返されました。
同じ敷地だった人に知らないと言われてしまっては絶望的です。
諦めて帰りかかっていたところ、先程のお兄さんが、思い出したと追いかけてきてきました。
「思い出した。伊良部さんという家族が前に住んでいた。子供が俺より少し下で、お父さんはダンベルで体を鍛えていたね。ハーフの人でしょ。」
「はい、そうです。今はどこに住んでいるかとか何かわかりませんか?」
「わからないね。お父さんは水道工事の仕事をしてたと思ったけど、自分はまだその時子供だったからどこかはわからない。知っているかもしれないおじさんがいるから、一緒にそこへ行こう。」
対象者が遺産相続の権利があり人探ししていると伝えると、そのお兄さんががぜん協力的になって、わざわざ少し離れた家の年配の男性のところに案内してくれました。
その男性が、対象者のだんなさんの、当時の勤務先のおおよその場所を教えてくれました。
勤務先の名称まではわかりませんでしたが、水道工事業者でその地域の会社ということで探し、たぶんこれだろうというところがわかりました。
さっそく、そこへ向かいました。ちょうど午後5時頃になって、営業時間が終わってしまうとまずいと思い急ぎました。
元勤務先を訪問すると、事務所の男性が応答しました。
「伊良部Tomioさんが以前いたことは知っていたが、連絡先はわからない。私が来た時にはもうやめていたからね。」
「他に古い方で知っていそうな人はいませんか?」と聞きましたが、「いないですね」とのこと。
そこで諦めるわけにいかず、勤務先前でねばっていたところ、事務所に戻ってきた作業員が数名いて、一番年長の男性に聞いてみました。
すると、運よくその男性がTomioさんがTomioさんのことを知っていて、彼が10年位前に住んでいたおおよその地域を教えてくれました。
その地域で再度電話帳や住宅地図の調査記録を再確認すると、1件該当者がありました。
「待てよ、この電話帳に載っている同姓同名のところだったら、以前に電話して留守電だったところじゃないか」、私は車の中で独り言を言いました。電話してもつながらなかったから違うかもしれないと思いながら、その住所へ向かいました。
「ああ、これが別人だったら、困るなあ。そこで完全に手がかりが途切れてしまうわ。」
あれこれ考えているうちに、その場所へ到着。小さな借家のようなところでした。「えー?、ここに家族で住んでいるのかなあ」と少し心配になりましたが、行ってみるしかありません。
ドアの呼び鈴を鳴らすと、60代位の男性が出てきました。
事情を説明すると、「ああ、留守電入っていた。なんだ相続のことだったのか。いや、俺もうEtsukoとは離婚したんだよ。今住んでいるところは俺は知らないけど、娘に聞けばわかるよ。まあ、とにかくあがってよ。」
「ああ、よかった。これでつながった」 私は感激して鳥肌が立ちました。
Tomioさんは、30数年前にEtsukoさんのお父さんのDonaldさんが、日本に来たときのことをしみじみ話してくれました。
「Donaldさんは日本が気に入って日本に移住したと言っていたんだよ。本当に喜んでいたよね。」
そして、娘の里奈さんに電話して、私に代わってくれました。私が事情を説明すると、Etsukoさんの電話番号を教えてくれました。
Tomioさんは、里奈さんは高校生の時はすバレーボール選手で活躍し、「もう少しで東京の大学にスポーツ推薦ではいれる位活躍してたんだよ」と自慢していました。
Etsukoさんと離婚してしまっていたのはちょっと淋しいですが、仕方ありません。
現地調査をする前に、Tomioさんの電話は確認しており、応答はありませんでしたが、留守電は入れていました。しかし、単なる同姓同名の可能性もあって確信がなく、細かい事情までは伝えず、単に当方の連絡先だけを伝言していました。返事がなかったので完全に別人なのだろうと思い込んでいました。
結果的にそれが元旦那さんの電話だったのですが、現地調査しなければ迷宮入りになるところでした。
Tomioさんのところを去って、しばらくして、Etsukoさんに電話すると本人が出ました。
相続の書類を直接渡したいと伝えると、次の日の午前にアポイントを取ることができました。
翌日、Etsukoさんの現住所で、Etsukoさん本人とかけつけた長女の里奈さんと会うことができました。
思い出話で盛り上がったことは言うまでもありませんが、Etsukoさん達は英語ができないので、依頼者のMarkさんとのコミュニケーションをどうするか話し会いました。
私は、Etsukoさん達には、国際電話はSkaypeが便利なことをお教えしました。
また、Lineの自動翻訳機能を使ってトークすると、日本語で書いたものはすぐに英語になり、英語できたものはすぐに日本語に翻訳されることを教えました。
そして、Markさんにも自動翻訳機能があるLineアプリをインストールしてもらい、里奈さんたちとLineのトークでやり取りできるようアレンジしました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
個人情報保護最優先される日本では、人探しはどんどん難しくなる一方で、どうしたらいいのかいつも私たちは悩んでいますが、紆余曲折ありましたが、なんとか運よく結果を手繰り寄せることができて、今回は大成功です。