今回紹介する映画『マリッジストーリー(原題:Marriage Story) 』は、演劇演出家のチャーリーと、演劇女優のニコル夫婦が離婚することになり、小学生の息子のヘンリーの監護権や面会交流権をめぐって、泥沼の法廷バトルを繰り広げるというものです。裁判を通じて相手の欠点の粗探して傷つけあい、高額な弁護士費用等の金銭的な負担を強いられ、お互い消耗していきます。そこで、離婚バトルのバカバカしさに気づき、離婚するとはいえ、お互いを人間として尊重する気持ちを取り戻す、という人間ドラマです。
父のチャーリー役は『スターウォーズ』シリーズのカイロレン、ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』などの出演で知られるアダム・ドライバーと、『アベンジャー』シリーズのブラックウィドウ役で知られるスカーレット・ヨハンソンです。『そんな彼なら捨てちゃえば?』なんかにも出演していましたね。
物語の舞台は、アメリカのカリフォルニア州です。日本でのよくある親権争いとは、全く状況が違います。離婚の際の習慣や法律に、日本とアメリカでここまでの違いがあるということは特筆すべきことです。国際結婚が急増している昨今、この映画の内容は対岸の火事ということでもなくなってきています。
離婚弁護士の実態
作中では、ニコルの実家がロサンゼルスにあるにも関わらず、チャーリーの仕事の都合でニューヨーク在住となったことに不満がありました。また、彼のPCの記録を盗み見して、チャーリーが仕事先のマネージャーの女性と浮気していることがわかりました。そうしたことが原因で、ニコルは離婚を決意しました。
チャーリーとニコルは、お互い弁護士や裁判などの争い事はなしで、穏便に別れる約束をしていました。しかし、ニコルは仕事先の人に紹介された凄腕の離婚弁護士のノラを雇う事にしてしまいます。
ノラは親身になってニコルの相談に乗りますが、裏では、うまく案件を受任し、汚い戦略で法廷バトルに持ち込もうとするしたたかさが見え隠れしています。
だまし討ちで離婚文書送達
チャーリーはひどい家庭環境で育ち、実家からのサポートがありません。チャーリーはニコルの母や妹(父は他界済み)と本当の家族のように接していて、半ば、婿養子のような存在でした。
彼らはニューヨークに住んでいましたが、結婚したのも、ヘンリーが生まれたのも、ニコルの実家があるLAでした。そこでニコルは離婚後、ヘンリーの監護権を取得し、絶対にLAに定住したいという希望がありました。
LAでの離婚書類送達
その希望を達成するためには、チャーリーがLAにいる間に離婚書類を送達する必要があります。裁判に関わったことのない方にとっては、書類の送達の重要性が認識できないかもしれません。西側諸国では、法的手続きを開始させるために、裁判所からの書類を被告側に直接手渡しで送達する必要があります。日本のように、郵便局が裁判所の書類を特別送達をするのは、世界では例外中の例外です。
作中ではニコルが原告ですから、ニコル自身がチャーリーに離婚書類を送達することができません。そのため、ニコルは妹に送達させました。そして、ノラの差し金でニコルはチャーリーをLAの実家に呼び寄せた時に、離婚書類を送達しました。いわば、騙し討ちです。
送達後、否応なく離婚バトルに突入
チャーリーは離婚書類を送達されたため、いやが応でも離婚バトルに巻き込まれることになります。もちろんチャーリーが浮気したという問題もありますが、カリフォルニアでは無過失離婚制度(No fault divorce)という制度が導入されているため、浮気の問題と離婚とは直接関係ありません。
無過失離婚とは、離婚する時に離婚原因を考慮しないという考え方です。過失がないと離婚ができないという制度では、過失を証明するために夫婦が泥沼の非難合戦をすることになるからです。要するに、離婚原因などは関係なく、一方が離婚を申し立てれば、裁判所がすぐに離婚を認めます。アメリカでは、共同親権制度も導入されています。したがって、よほど酷い虐待やDVなどがない限り、どちらが親権者になるという、日本でよく耳にする親権争いはありません。
監護権と面会交流権の争い
この映画での一番の争点は、監護権や面会交流権をどうするかというところです。ニコルの側にノラという凄腕離婚弁護士がついたため、チャーリーはジェイというアグレッシブな男性弁護士を雇います。
チャーリーがジェイの弁護士事務所を訪問して相談した場面は特に圧巻です。このシーンひとつで、アメリカの離婚バトルの現実が映し出されているとも言えます。
ジェイの弁護士費用は1時間あたり950米ドル(約10万円)です。助手のテッドの報酬は、1時間あたり400米ドル(約44,000円)です。そして着手金は25,000米ドル(約280万円)です。また、財産分与のための会計監査の費用が1万米ドル から2万米ドル(約100〜200万円)かかります。
チャーリーはニューヨークで仕事があるので、LAに定住することが困難です。しかし、ニコルの側は、LAで子育てしたいという強い希望があります。カリフォルニアで監護権争いをすれば、チャーリーが大人になるまで、ずっとカリフォルニアでしか子供と会えなくなります。だから、ジェイは、すぐにヘンリーをニューヨークへ連れて行くべきだと説得します。
一方で、凄腕離婚弁護士ノラは『チャーリーは自己中心的で家庭を顧みない最悪の父親である』とレッテル付ける戦略で相手を攻めます。ノラとニコル側は、探偵を使ってでも、どんな粗探しでもしてきます。だから、ジェイは、チャーリーもすぐに探偵を雇うべきだと忠告します。
裁判においては、どんな些細な出来事も、全て相手を陥れるための印象操作に使えます。例えば、過去にニコルはトップレスでテレビに出たことがあります。また、若気の至りでドラッグをやっていたこともあります。そういうことをあげつらって、ニコルがひどい母親であるという印象操作をする必要があります。
最近ニコルがお酒を飲みすぎて階段から転びそうになったことがありました。ジェイはそのことをあげつらって、彼女がアル中であると主張するようにアドバイスします。
先ほど書いた通り、カリフォルニアでは無過失離婚が導入されているので、浮気があったかどうかは、離婚審議に関係ありません。しかし、子供の監護権や面会交流権を定める時には、普段の素行、つまり、浮気や飲酒癖があると印象が悪くなります。ジェイは、チャーリーにそういうことがあるなら気をつけてなさいとアドバイスします。
離婚訴訟は汚い戦法で戦う
ノラのような凄腕離婚弁護士がサポートに付くと、こじつけの中傷合戦のような論理で攻め、常識を逸脱した要求をしてきます。それに応戦するためには、こちら側も同じような汚い手を使って戦うしかありません。
作中のセリフにもあるように、刑事事件の弁護士は犯罪者のいいところを強調します。離婚弁護士は、相手側の悪いところを強調します。離婚バトルでは、徹底的な誹謗中傷を展開し、お互い少しでも監護権や交流圏で良い条件を勝ち取るバトルです。
チャーリーは、金銭的にも弁護士離婚の費用を支払うことが困難でした。そして、ジェイがあまりにもどぎつい現実を突きつけたため、チャーリーは一連のバトルに辟易して弁護士事務所から退いてしまいます。
しかし、紆余曲折あって、結局、チャーリーは、最終的にジェイを雇い、ノラがついているニコルと法廷で闘うことになりました。結果、ニコルもチャーリーも離婚の法廷バトルがあまりにも熾烈で、お互いを傷つけあうだけだということがわかりました。そして、お互いある程度のところで妥協点を見つけて決着しました。
ジェイとテッドの名言
イカれた戦法で戦うしかないことを、ジェイがチャーリーに説明する部分のセリフを引用します。Tedは前述の通り、Jayの助手です。
JAY MAROTTA: Listen, if we start from a place of reasonable and they start from a place of crazy when we settle, we’ll be somewhere between reasonable and crazy.
TED: Which is STILL crazy.
JAY MAROTTA: Half of the crazy is crazy.
CHARLIE: Uh huh.
TED: You know what people say, criminal lawyers see bad people at their best, divorce lawyers see good people at their worst.
JAY MAROTTA: You’ll end up hating me and Ted before it’s all over just because of what we represent in your life.
日本語訳
JAY MAROTTA: もし私たちが妥当なところから始めて、彼らが狂ったところから始めれば、私たちは妥当なところと狂ったところの間にいることになります。
TED: いずれにしても狂ってますね。
JAY MAROTTA: 狂気の半分も狂気です。
CHARLIE: そうですね。
TED: 刑事弁護士は悪人を好意的にみるけど、離婚弁護士は善人を悪人とみなすね。
JAY MAROTTA: 私たちがあなたの人生を代弁しているので、結局、あなたは私とテッドを憎むことになるでしょう。
日本の現実
日本には共同親権の制度がありません。また、監護権や面会交流権の制度はあるにしても、実質的にあまり機能しているとは言えません。また、離婚成立前に片親に子供が離れた地域や国外に連れ去られると、連れ去られた方の親が二度と子供に会うことができない状況もあります。離婚の時の弁護士に法外な費用がかかったりすることは少ないにしても、離婚すれば子供と一生生き別れになるリスクのある状況です。
この点は西側諸国と日本では大きな違いがあります。ここまで違いがあると、子供がいる国際結婚の夫婦の離婚の際に、揉めないはずがありません。
この映画で分かる通り、アメリカでは、まだお金はかかりますが、子供の監護権や面会交流権を戦う余地があります。しかし、日本人と国際結婚したアメリカ人が、日本に子供を連れ去られると、戦う余地もなくなってしまいます。日本は、2013年に子供の連れ去りに関するハーグ条約に調印し、国際間の子供の連れ去り問題では、外務省や警察が介入することになっています。しかし、まだ抜け道も沢山あり、ハーグ条約が完全に機能しているとは言えない状況です。
ですから、西側諸国の親が怒り狂うのは自明の理です。日本という国自体が、子供の人権を守らず、子供の連れ去りを黙認する無法国家だと批判される元になっています。
国内の離婚問題にしても、共同親権の制度がないゆえに、離婚成立前に無断で子供を連れ去った親が親権を取りやすいという大きな矛盾を抱えています。そうした問題を解決する法整備も整っていないため、この映画のチャーリーのような立場に立った父親は、子供と二度と会えないような状況に陥ります。
このような現況は、国際社会の一員として由々しき事態です。離率が増え、ある意味では「当たり前」な価値観になっている日本でも、他国の現状を踏まえて法改正を進め、離婚騒動で苦しむ親やその子供がなるべく減るように願うばかりです。
まとめ
泥沼な裁判バトルを繰り広げる重苦しいシーンもあるこの映画ですが、時間や事象によって関係性や形が変わってしまっても、心の中で愛しているものは変わらないというメッセージがこめられています。監督自身も離婚を経験しているからこそ描ける、魂のこもった作品だと思います。