今回は、公開情報調査の重要性と忍耐力の重要性を実感させられた、とある事件についてお話しします。具体的には、元LAPD(Los Angeles Police Department)の刑事で、探偵の先輩でもあるJimmy Sakoda氏が、ロス疑惑事件の三浦氏をアメリカで再逮捕した経緯に触れていきます。
ロス疑惑事件
1981年に発生したロス疑惑事件について、事件の詳細はWikipediaや様々な記事で紹介されているので、ここでは簡単に概略を説明します。
事件の当事者である三浦和義氏は、1981年に新妻とロサンゼルスへ旅行に行きました。その時、ロサンゼルスの路上で強盗に銃撃されました。妻は頭を撃れ、死亡しました。妻を助けようとした三浦氏自身も足を撃たれました。強盗は1200ドルを奪って逃走し、その後、逮捕されることはありませんでした。
後に、三浦氏が妻の死亡保険金6500万米ドルを受け取ったことがわかりました。さらに事件の3ヶ月前にも、日本で三浦氏が妾のポルノ女優に妻を襲撃させていたことも発覚しました。
その時のポルノ女優はハンマーで妻を殴打しましたが、殺害はできず、殺人未遂罪となり、懲役2年半の判決を受けましたた。三浦氏は、殺人未遂罪で懲役6年の判決を受けていました。妾のポルノ女優は、三浦氏からアメリカで妻を銃殺し、三浦氏の足を拳銃で撃つように持ちかけられましたが断った経緯があると判明しました。
こうした背景から、ロサンゼルスでの強盗銃撃事件も、三浦氏の自作自演の陰謀説が浮上しました。つまり、三浦氏がやらせの強盗犯を雇い、妻を殺害させ、被害者を装うため自らの足を撃たせたという疑いが出たということです。彼は、アメリカで逮捕されました。その後日本に身柄が移送され、日本で刑事訴訟を受けました。
実行犯が逮捕されず、証拠不十分であったため、2003年、最高裁で三浦氏の無罪が確定しました。
三浦氏のキャラクター
ロス疑惑事件は、当時のマスコミの格好のネタとなりました。悪役スター気取りの三浦氏のキャラクターと相まって、彼はテレビタレント化していました。テレビ出演料で高額なギャラを稼いでいた上に、冤罪事件を支援するセミナーを開催し、講演料を徴収したりしていました。
三浦氏自身は元々不良少年で、放火などの前科もある素行不良の人物でした。ただし、身長も高く、甘いマスクであったため、女性からの人気は高かったようです。
Jimmy Sakodaが捜査を担当
ロス疑惑事件は、LAPDの捜査員であった日系二世のJimmy Sakoda氏が担当しました。アメリカからすると外国人旅行者の被害であったため、捜査に積極的になる理由はあまりありませんでした。
ただし、三浦氏は、保険金殺人のために、アメリカの銃社会のイメージを悪用したとしか考えられませんでした。1984年のロサンゼルスオリンピックを前に、開催地のイメージダウンにつながりかねないタイミングでした。Jimmy Sakoda氏はそれを避けたい一心で、この事件の捜査に心血を注ぎました。
その彼の熱意と執念で、ロサンゼルスでの捜査が進展していました。しかし、被害者の妻の両親が日本での刑事裁判を望んだため、三浦氏は日本側へ身柄を引き渡されることになりました。その結果、前述の通り、2003年に三浦氏の無罪が最高裁で確定してしまったのです。
アメリカの法改正
一方ロサンゼルスで、事件捜査を担当していたJimmy Sakoda氏は、三浦氏の有罪を確信していました。ただし、Double Jeopardy(一事不再理の法則)が障害となり、カリフォルニア州での最審理も不可能でした。一度その事件で無罪が確定した場合、再度、その事件で刑事訴訟できないという法則です。
しかし、2004年にカリフォルニア州の法律が改正され、外国で審議された事件に関しては、Double Jeopardyが適用されなくなりました。Jimmyさんは、この法改正をきっかけに三浦氏を再度アメリカで刑事訴訟にかけることに執念を燃やしました。
公開情報調査
Jimmyさんは、日系2世で日本語が話せました。そのため日本側の捜査関係者とも連絡を取り合っていました。
Jimmyさんは、三浦氏をアメリカにおびき寄せる計画や、東京のアメリカ大使館に招待して捉える等といった計画を練っていましたが、なかなかそれを実行するチャンスがないまま時間が過ぎていきました。
そんな中でも、Jimmyさんは、三浦氏の公開情報調査(メディアサーチ)を忍耐強く継続していました。そのうち、三浦氏のブログから、彼が度々サイパンを訪れていることが分かり、サイパンで彼を逮捕する計画を固めました。
そして、三浦氏がサイパンに渡航する情報をキャッチし、Jimmyさんがサイパンの入国管理局と税関当局に渡航情報を通知しました。2008年2月に三浦氏はサイパンで拘束され、最終的には10月にロサンゼルスの留置所へ移送されました。しかし、その直後、留置場内で首を吊って死んでいるのが発見されました。
三浦氏には、1979年に、交際相手の女性を殺害し、ロサンゼルスの畑に死体遺棄した容疑もかけられていました。この時も三浦氏は被害女性の銀行口座から460万円程を引き出していたとされています。
Jimmy Sakoda氏の教訓
筆者はJimmyさんが、刑事を退職して探偵になってからも事件捜査を諦めず、ライフワークとしていたことに感銘を受けました。事件から27年後に、犯人をアメリカで再逮捕したことが見事です。さらに、三浦氏のコードをキャッチするために彼の出版物やブログなどを監視し続けていたことに頭が下がりました。
ジミーさんは以下のように述べていました。
“Life is a Marathon, not a sprint, What matters is perseverance.”(人生は短距離走ではなく、マラソンである。)
他に学ぶべき点は、公開情報調査の重要性です。三浦氏が自己 PR のために書いたブログ記事が、彼のアメリカでの逮捕に繋がりました。
自己顕示欲の強い人間は、必ず自己PRのかたちで自身の情報を公開します。事件解決のためには、それを忍耐強く待ってチャンスを逃さないことです。これは刑事捜査であれ、探偵の調査であれ、基本中の基本だと思います。