インテリジェンスという言葉は現代の日本で知的な意味でよく解釈されるが、海外では「諜報」と情報収集として認識される。諜報という言葉を聞く機会はあるだろうが「防諜」という言葉をご存知だろうか。防諜は「カウンターインテリジェンス」と訳され、他国からのスパイを逮捕、諜報による情報流出を防ぐことやテロを防止することを目的とする。日本人からすれば城内に侵入した忍者を自軍の忍者が撃退するといえばわかりやすいかもしれない。
このような諜報と防諜を担う組織が各国にあることはさらに知られていない。これは現代の戦闘においても深く関わっている。諜報と防諜の海外事情を日本と比較しよう。
日本の諜報機関事情
アメリカでは対外諜報機関がCIAでFBIが防諜を担っている。イギリスはジェームズ・ボンドで有名なMI6が諜報を行いMI5が防諜を任されている。ロシアではSVRが対外諜報機関で、防諜ではFSBと後術するSMERSHが存在する。
日本の諜報機関は内閣情報調査室が作られた。しかしMI6が1909年に設立された経緯に比べ、何と戦後1957年設立と遅かった。他にも公安警察、防衛省情報本部、公安調査庁、外務省国際情報統括官組織があるが各機関ごとの行動範囲が重なり上手く機能していないという指摘がある。情報収集が重要と知っていても、こうしたキャリアの差と各機関がパフォーマンスを発揮できない事情から日本の諜報に対するリテラシーは海外に比べて伸びなかった。日本はスパイ天国と不名誉な呼ばれ方もある。
なぜ日本の諜報機関の設立が遅かったか?まず日本の開国当時、行政機構はフランスを模したものであり、そのルーツに公的機関としての諜報組織がなかったからだ。その後、各国は第一次世界大戦で情報の重要性に気づきパブリックに諜報機関を設立したが、直接関与していない日本はこの機会がなかったのだ。アメリカが太平洋戦のために日本を数年前から研究し、空路ポイントを熟知していたのに対し日本は全く有力情報がなかったと、日本の情報参謀の堀栄三も書で指摘していた。終戦後、このような反省から日本にも情報機関を設けようとする構想があったものの、日本の国力を抑えようとするGHQにより実現できず、警察庁、防衛省、法務省、外務省でバラバラに諜報を行っていた。これが今に至り各機関の諜報と防諜のノウハウが蓄積できずにいる。
スメルシの復活
イギリス国防省の発表によると、ロシアで「スメルシ」という防諜機関が再編されたという。2024年になり実際に「SMERSH」というパッチを制服に付けた工作員の画像が確認されたようだ。これは1941~1946年のスターリン時代、独ソ戦における防諜機関であり、主に脱走兵と反戦主義者の摘発を行っていた。地下壕で自殺したヒトラーの発見と遺体搬送を行ったともされている。スメルシは「スパイに死を」という語源があり短い活動期間のわりに知名度があったのは007で登場したからであった。
1/8 イギリス国防省最新情報から要約
第二次世界大戦中の防諜機関であったため、今後スメルシがどのような役割を与えられるか定かではない。しかし、イギリス国防省はスパイと反逆対策のため当時のような防諜の認識を高めているのだと見解を述べた。脱走兵や反逆者対策といえば、一見厳かかもしれない。しかしこのように公的機関が常々諜報とその対抗策について報じることにより、最終的に国民の情報管理のリテラシーを高めることは否定できない。