今回の記事では、2021年7月9日公開の中国映画『唐人街探偵 東京MISSION』について、30年近く国内外で探偵業務を行ってきた、プロの探偵の視点からコメントします。
中国の探偵映画なのに、舞台は日本?
今回の題材となる映画の原題は、『唐人街探案3』です。「3」というように、第1作目ではタイ、第2作目ではニューヨークを舞台としていました。そして今回は、東京を舞台に、アジアの名探偵たちが冤罪事件などの難事件を解決しようと奮闘します。
ちなみに、中国では探偵という職業が公式に認められていません。なぜなら、当局(公安警察)の活動の邪魔になるからです。共産主義国家では、個人の知る権利よりも公共安全(公安)の方が重要であり、探偵は中国公安警察から迫害されているのです。
唐人街探偵の映画でも、中国共産党の公安警察への配慮から、舞台を中国国内にすることができず、タイ、ニューヨークに続いて、今回は日本の中華街を舞台にしています。中国国外を舞台にすれば、中国の公安警察を怒らせることがないからです。
渋谷のスクランブル交差点を栃木に再現!
日本の映画産業は、世界の中では、いまいち盛り上がりに欠けています。そして、日本は行政から映画ロケ地の許可が出にくい国として有名です。古くは日本映画『太陽を盗んだ男』で、撮影許可が降りないため、皇居前広場に無許可でバスを突っ込ませるゲリラ撮影の敢行。少し新しいものでは、菊地凛子や役所広司が出演するアメリカ映画『バベル』にて、同じく許可が下りない首都高でゲリラ撮影を行ったエピソードも有名です。
この映画では、渋谷駅前のスクランブル交差点をロケ地にすることが決まっていました。しかし、撮影の許可が出なかったため、中国の制作スタッフは、莫大な資金をかけて栃木県足利市に渋谷駅前の再現セットを作りました。日本国内の映画では、実物のセットを制作するほどの資金が出ないため、このようなことはできないと言われています。
中国映画は、当局の検閲を受けて表現の自由が規制されるというデメリットがある一方で、人口が多くマーケットが巨大なため、巨額な制作費を捻出できるというメリットがあります。
世界名探偵ランキング
この映画では、探偵の世界ランキングがあり、各国の名探偵がランキング順位を争っていくという設定があります。このランキングは、事件解決率に基づいています。
唐人街探案では、このランキングはソーシャルアプリで確認可能で、以下のように呼ばれています。
Crimaster 全球侦探排行榜 (Quánqiú zhēntàn páiháng bǎng)
英語だと、Global Detective Rankingです。中国語では「探偵」は文字の順番が日本語と逆で「侦探」となります。「全球」は「世界」、「排行」は「ランキング」の意味で、「榜」は「ボード(板)」の意味です。
この映画で、妻夫木聡が演じる、日本と中国にルーツを持つ日本の探偵の野田昊は、世界ランキング3位となっています。
現実の名探偵ランキング
現実の世界には「探偵のランク付け」はありませんが、どの探偵業者が優秀なのか、序列を作るという考え方は現実にもあります。
探偵業では、複数の業者が同じ業務を行い、品質やスピードを競って優劣をつけることができまきません。また、過去に扱った案件について、仮に依頼者の満足度が高かったとしても、守秘義務がありますから、当然その内容を公開することはできません。これは、弁護士や医者でも同じような事が言えると思います。複数の案件や治療を、複数の専門家が競争して行うという事がありません。
では、利用者側からすると、どのように優秀な業者を選定すれば良いでしょうか?
探偵業のアワード
探偵業の場合、日常業務の中で、優秀な業者のランキングをつけることは困難です。やはり、唐人街探偵の中で描かれているように、難事件解決をベースにランキングをつけていくしかないでしょう。
そして、業界団体などが事件解決の内容を評価し、最も輝かしい業績を上げた業者に賞を受賞させるという方式になります。これらは、映画のアカデミー賞のように、業界団体の評議員が自薦や他薦でエントリーした業者の中から、最も優秀なアワードを与えるということになっています。
探偵業務の性質上、通常業務では受注した内容やその結果を対外的に広報することができません。したがって、対外的にもオープンとなり、報道されやすい業績としては、以下の二つが挙げられます。
- 災害時など、公開情報となっている行方不明者を捜索する
- 冤罪事件解決のプロボノ活動に従事する(プロボノ活動とは、専門的な知識やスキルを持つ特定の分野の人が、社会貢献のために行うボランティア活動の一種)
探偵による「冤罪事件の解決」とは?
冤罪事件解決のための非営利団体として、アメリカを中心にInnocence Project(冤罪救済センター)があります。日本にも、冤罪救済センターの支店があります。この団体には、弁護士や探偵、科学捜査研究所などが加盟しています。冤罪事件の受刑者の救済を目的として、弁護士や探偵社が冤罪事件解決のためのプロボノ活動を行っています。
探偵社のプロボノ活動
プロボノ活動というのは、社会的意義のある案件に対して弁護士や探偵社などの専門業者が、無償で業務提供することを指します。日本ではまだ社会的認知の少ない用語でしょう。
専門業者としてはプロボノ活動では利益は得られませんが、社会的意義のある分野で功績を残せれば、それが業務上のパブリシティとなります。アメリカでは、そういう意味で、弁護士や探偵業者にとってプロボノの活動は、かなり重要なウェイトを占めています。
日本国内の探偵業アワード
しかし、現実的には、残念ながら日本国内の業界団体で、探偵業のアワード制度を実施しているところは見たことがありません。そのようなアワードがあれば、なかなか興味深い内容になるでしょう。
世界の探偵業アワード:世界探偵協会(WAD)
世界的な探偵の業界団体W.A.D.(世界探偵協会)では、年に1回行われる総会の祝賀会にて、WAD会員の推薦によって選ばれた優秀者に対して会長から授与される、以下の4つの賞が制定されます。
WADの起源は1921年までさかのぼります。 世界中の探偵期間の中でも、最長の歴史と最大の規模を持つ協会です。 会員数は、2020年現在80か国以上、1000名以上となっています。
ノーマン・J・スローン記念賞
1985年に設立された、世界探偵協会の最高の栄誉賞です。受賞者は、WADの会員の中で、協会への優れた貢献を示し、時間、エネルギー、リーダーシップ、献身をもって、捜査とセキュリティの専門家の向上に貢献した人たちです。
年間最優秀調査員賞
その年に優れた職業上のサービスや業績を示したWAD会員、または職業上の最高の伝統に則って優れた調査を行った会員に授与される賞です。1976年にイギリスのブライトンで、英国調査員協会を代表してゼナ・スコット=アーチャー元会長から世界探偵協会に贈られた杯です。
ニール・ホームズ氏/J.D.ビンソン氏Jr. セキュリティ・プロフェッショナル・オブ・ザ・イヤー賞
この賞は、セキュリティ分野において、起業家精神にあふれ、優れたリーダーシップとビジネスセンスを発揮したメンバーを表彰するものです。WADの終身会員であるニール・ホームズ氏、そしてJ.D.ビンソン元会長の逝去に先立ち、この2人の長い友情とWAD、およびセキュリティ業界への貢献とリーダーシップを称えて改称されました。
ハル・リプセット”行動の真実”賞
WAD以外の私立探偵、私立警備、刑事司法、法律、技術・科学の専門分野において、優れた思いやりやヒロイズム、リーダーシップ、業績、奉仕活動を行い、人類に貢献した個人に贈られる賞。1967年にWADの役員と理事会によって”Truth in Action”賞として導入されたのが始まりです。1998年に、ハル・リプセット元会長を記念して、「ハル・リプセット記念Truth in Action賞」に名称が変更されました。受賞者は通常、各地域の主催者によって選ばれますが、主催者が不在の場合は、会議・中間委員会が受賞者委員会の承認を得て決定します。
世界の探偵業アワード:国際探偵評議会(CII)
さらに、もう一つの国際的な探偵の団体、CII(国際探偵評議会)でも、以下のアワードがあります。CIIは1955年に設立され、その集合的なスキルセットは事実上あらゆる側面の案件をカバーし、個々のメンバーはそれぞれ専門知識を持っていることが世界的に知られています。 そのメンバーシップの基準は厳格で、2020年8月現在、70カ国に400を超えるメンバーがいます。
国際年間最優秀調査員賞
国際調査員協会の中で、職業上・道徳上の基準を最もよく体現している協議員に贈る賞。協会内の誰でも推薦することができ、選出は年次総会において、候補者の推薦文と補足書類を読み上げた後、過半数の投票によって行われます。
Malcolm W. Thomson, C.I.I. Memorial Award(マルコム・W・トムソン、C.I.I.メモリアル・アワード)
会員と審議会の戦略計画の目標を最もよく体現している人物に与えられる賞。1994年に亡くなったC.I.I.の重要なメンバー、Malcolm Watson Thomson氏への敬意を評して制定されました。
Meritorious Service Award (MSA)
功労賞(Meritorious Service Award:MSA)は、国際調査員協議会(Council of International Investigators)、セキュリティ業界、調査業界、または一般社会への功労を称える賞。MSA賞は、傑出した業績や貢献を称えるために、毎年評議会のメンバーに授与されます。
唐人街探偵と世界の探偵事情 まとめ
『唐人街探偵 東京MISSION』は娯楽映画ですが、制作の裏事情を見てみると、日中の文化や政治体制の違いが見えてきて、興味深いです。また、そういう観点では、中国の映画会社が日本人俳優を起用し、日本で撮影をするときのコーディネートをした協力会社の苦労がよくわかります。
名探偵ランキングや、探偵の国際協力という部分は、物語だけの空想の世界に見えます。しかし、現実的にはそれに近いものが存在しているということも分かっていただけたと思います。
これからも、バイリンガル探偵では、物語の中の探偵を題材に、現実の探偵の違い、国際的な文化・法律・政治体制の違い、そして、外国語学習者向けのワンポイントアドバイスの記事を、連載していきたいと思います。